この記事は完全に主観です。個人的な経験に基いてますので異論、反論バッチこいです。多分全員正解。
私がこの記事で言いたいことは、現在フリーランスや個人事業主の人は不況が来る前に会社に所属しましょう、ということです。それではいきます。
氷河期のころブラック企業に就職
個人的な話で恐縮ですが、新卒時2005年はいわゆる氷河期時代で周りの人は就職に苦労していました。
私もその類で、まあまあ有名私立4大卒(偏差値60くらい)の工学部を卒業して、SEを目指していました。
当時の思いとしてはJRの自動改札に感動して、こういった、システムで世の中が便利になる仕事につきたいと思っていました。
当時はそのせいで仕事がなくなった、切符を切るモギリの人の生活など考えてませんでした。今もですが。
話を戻して、希望する業界にも職種にもつけませんでしたが、就職はできました。サービス業の営業ですが新卒社員として入社することができました。
不況では教育が流行る
入社できたのは大手の語学スクールでした。英語は全く話せませんでしたが、そのころ業界ではWebを使った自宅学習が流行っていました。
自宅学習環境の内製化を図るため、おそらく将来的には技術職への異動も踏まえて理系の私が内定をもらえたのだと思っています。
2年で辞めましたがここで営業力を身につけました。あとから考えるととてもいい経験でした。
ここで言いたいことは、あとになってなんの経験が生きてくるか分からないので、今できるできることを全力で学ぼうということです。
ここで英語を学ぶことができればより良かったのですが、もともとコミュ障な私には営業の方法を学ぶのが限界でした。
テレアポとかクレーム対応とか、幅広く経験して、直接いま生きていることはないですが、私の仕事の基礎がここにあります。
好況時は投資が増える
2005年は氷河期といってもほぼ終わりかけで、下手な内定が出るくらいなら、わざと留年して、翌年にかける人もいました。
成功例も多かったので、サービス業の営業をするくらいなら留年するのも良かったかもしれませんが、家庭の事情的に難しかったです。
サービス業で2年たったころ、世の中は好景気に入り、第二新卒枠でのIT業界の募集が増えてきました。
いいタイミングだと考えて、あとまだ若かったので、失敗してもいいやと思い、社内SEの派遣の内定だけもらって上京しました。
当時関西にいましたが、東京なら転職失敗しても仕事はあるだろうという計算です。上京する前に完済でも転職活動をしていたのですが、なかなか面接にすらたどり着かない状態で、若干藁にもすがる思いで東京に出ましたが、実際に仕事はたくさんありました。
急な不況は派遣から切られる
というわけで東京で派遣の社内SEを行っていたわけですが、いわゆるリーマンショックのあおりで派遣切りにあいます。結局派遣って立場じゃどうにもならないじゃんって感じられるかもしれませんが、これにより得たものがあります。社内SEという実績です。
たった1年経験しただけで社内SEを語るなと言われそうですが、たった1年でも面接の反応が未経験のときと比べて全く違います。当たり前ですが。
とにかく、履歴書に書けることを経験できる間にやるべきです。
不況のときこそ派遣で潜り込め
私がおそらくこのブログで最も言いたいことの1つがコレです。人生において良いときも悪いときも必ず来る。それは社会にとっても同じ。不況もくれば好況もくる。
好況のときは正社員の募集が多く、より環境のいいところに行きたい人が辞めていくので正社員のループが始まります。
逆に、不況のときは派遣が切られやすいですが、募集が多いのも派遣です。将来を悲観する状況では、現状の法律で正社員で雇うハードルが高くても派遣ならすぐに切れるので雇える。
不況でも好況でも業務量が極端に変わるかというとそうでもなかったりするので、不況だったとしても人手は足りないところも多いのです。
この記事のまとめ
私自身、不況の時期にスキルを高めて、好況の時期に高く売り込むというスタイルでうまくいってきています。
なので、ぜひともオススメしたいのは、冒頭にも書きましたが、フリーランスや個人事業主の人たちが、不況になる前に企業に就職するか、もしくは契約社員や派遣でもいいので所属しておくことです。
特にアフィリエイターやWeb制作などが得意な人は、ちょっとした中小企業だと喉から手が出るほどほしい人材でもあるので、交渉すれば自分の事業をやりながらでも採用されると思います。
もしくは、今やっている仕事は家族の名義にするか、こっそりやるかにしておいて、所属した会社で給料をもらいながら成果を出し、好景気がきたタイミングでまた所属先から仕事をもらいながら改めて独立すれば、法人案件を受注した状態で土台が完成しますので、このプランいかがでしょうか。
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